秋田今野商店

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第101回~第110回

第101回 2018年11月13日

[温故知新]食用昆虫、その味は? 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 先日、甘辛くて小エビのようなサクサクした食感のイナゴの佃煮を食べました。子供の頃イナゴ捕りをしたことを懐かしく思い出す方も多いと思います。
 今、虫が食用として存在感を増しています。昆虫は90万種以上が知られており、地球上の生物種の半数以上を占めています。国連は食糧危機の解決に虫を活用することを推奨しており、実際、世界中で1900種類以上の昆虫が食べられているといいます。推奨の理由は、栄養価の高さにあります。例えばイナゴに含まれるタンパク質は和牛の赤身を上回るそうです。
 日本でも昆虫食の食文化を持つ地域があります。そのひとつ長野県飯田市では、イナゴ、カイコ、ハチの子、川の石の下にいるザゲムシを食べます。ハチの子やイナゴは味付けされ、年間約1トンの缶詰が作られるそうです。このほかイナゴは煎ってすり鉢でつぶして粉にし、ご飯にかけて食べるそうです。飯田に住む友人にどんな味かと尋ねると、かっぱえびせんから塩を排除した味でとても美味いと言っていました。
 先日は、宮崎県五ヶ瀬に住む友人が人の親指大のスズメバチをかきあげ天ぷらにしてご馳走してくれました。恐る恐る食べると、やはり昆虫に共通する味、エビのような風味を感じました。それもそのはず、昆虫とエビやカニの甲羅の成分は同じキチン質から出来ているのです。
 国連は食用昆虫として以下の10種を推奨しています。タランチュラ、ゴミムシダマシ、 カメムシ、 シロアリ、イモムシ、バッタ、サソリ、ハチ、コオロギ、ゴキブリ です。驚いてしまいますよね。
 昆虫の利用は他にも色々あり、薬としての冬虫夏草や、装飾用として工芸品に使われるタマムシなど沢山の虫が我々のために役立っているのです。

第102回 2018年12月11日

[温故知新]サバのアレルギー 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 サバの美味しい季節になりました。先日「今年の一皿」にさばが選ばれ、まさに今注目の魚です。以前アニサキスというサバの寄生虫の話をしましたが、今回はサバのアレルギーの話です。
 サバを食べると体内の免疫機能が過剰に反応し、皮膚のかゆみやかぶれ、嘔吐、下痢などの症状が出るアレルギーがあります。アレルギーの原因アレルゲンとなるのは、サバの筋肉に含まれる「パルブアルブミン」と「コラーゲン」というタンパク質です。パルブアルブミンは他の魚類にも含まれているため、アレルギーを発症した場合はマグロや鮭など他の魚を食べた時にも同様のアレルギーを発症する可能性があります。一方コラーゲンがアレルゲンになる場合はパルブアルブミンより少ないようです。
 アレルギーとは別に、「アレルギー様食中毒」というものもあります。「様」というだけあってアレルギー症状と似ています。これはサバに含まれる成分ヒスタミンが原因です。もともとサバに含まれヒスチジンというアミノ酸はヒスタミン生産菌という細菌によりヒスタミンに変えられます。このヒスタミンを大量に摂取した場合アレルギー様食中毒が引き起こされるのです。ヒスタミンは熱に強い構造をしているので加熱処理しても消滅しません。さばが水揚げされてから時間が経過するにしたがって、主に内臓に含まれるヒスタミンは増加してきます。ヒスタミンを大量に含むサバを食べると数分後から1時間後の比較的早い時期にアレルギー反応に似た症状が現れます。このように症状が現れるのも早いですが治るのも早いのがこのアレルギー様食中毒の特徴です。
 アレルギー様食中毒を発症しないためには一にも二にもヒスタミンの摂取を抑えることに尽きます。そのためには水揚げ後すぐに内蔵除去したサバを購入することです。ヒスタミンの原因になる細菌の増殖を抑えるために冷蔵保存は有効ですが、前述の通り加熱処理してもヒスタミンは完全に分解できませんから十分に注意してください。

第103回 2019年1月22日

[温故知新]干し柿はなぜ甘い? 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 正月、おせちの中の干し柿をいただきました。外側は白い粉を吹いて中身はトロリと甘い。渋柿なのに、干すとなぜ甘くなるのでしょうか?
 渋柿の苦味や渋味はお茶の成分として有名なタンニンです。このタンニンが、口の中で溶けるか溶けないかによって柿の味が決まります。渋柿のタンニンは水に溶けやすい性質のため唾液と混じりあって溶けだし、苦味や渋味を感じるのです。
 渋柿の実は皮を通して呼吸をしており、皮をむいて乾燥させると表面に被膜ができ呼吸ができなくなります。その結果、実の中にアルコールがつくられ、これが渋柿に含まれる酵素によりアセトアルデヒドという物質になります。このアセトアルデヒドが水に溶けるタンニンを水に溶けないタンニンに変化させているのです。つまり干し柿は、渋味を取り除いているのではなく、タンニンの性質が変化したため、食べても甘いのです。
 柿の果肉に時折茶色の粒々を見かけますが、これはタンニンが水に溶けない状態に変化したものです。一度水に溶けない状態になると食べても渋さを感じることがなく、甘くなったと感じるのです。果肉にある茶色の粒々はまさに甘さの証です。
 特に出来の良い干し柿には白い粉が吹いています。この白い粉、もしかしたらカビかも…と心配する方がいるかもしれませんが、カビが生えるのは渋柿が乾燥していない状態の時です。干し柿が食べ頃になると表面が乾いているのでカビは生えません。白い粉を吹かせるためには寒さが必要です。ある程度水分の飛んだ段階でブラシをかけて表面に細かい傷をつけ寒風にさらします。するとそこから糖蜜が出て乾燥して白い粉を吹き、甘さを引き立たせます。「苦難」が大きいほど豊かな味になるとは、なにやら人の一生にもつながるような気がします。

第104回 2019年2月18日

[温故知新]古里の逸品 寒ヤツメ 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 寒さが増すごとに脂が乗って旨味が増す、この時期の珍味「寒やつめ」。日本海に注ぐ河川で生まれて海に下り、産卵のため生まれ故郷に上ってきます。雄物川流域ではかつて円錐形の竹籠「どっこ」を使ったやつめ漁が盛んでしたが、現在は河川改修などで生息環境が激変し幻の魚となってしまいました。魚と言いましたが、生物学的にはやつめうなぎはうなぎの様な外見をしていますが、うなぎ類とは全く無縁といえる動物で、食味もうなぎとはかけ離れています。魚類には人と同じように「あご」がありますが、やつめうなぎにはありません。そのかわりに吸盤状の口を持っています。この口で魚の腹に吸い付いて吸血鬼のごとく血液を吸い、ヤスリのような舌で餌食となった魚の組織を溶かしてじわじわと食べるという恐るべき技を持っています。魚のようなエラはありませんが、目の横に7つのエラ穴が並んでいます。あたかも8つの目があるように見えることから「やつめうなぎ」と呼ばれているのです。
 私の生まれ育った刈和野には、ヌラヌラした生きたやつめうなぎをつかみ上げ、空中でスパスパと容器に切り落としていく神技のような腕前を持った魚屋がおりました。そのやつめうなぎの輪切りにごぼう、ネギ、白菜、春菊、豆腐を入れ味噌仕立てで煮込んだ「やつめ貝焼き」はまさに栄養満点、絶品です。むちっとした歯ごたえ、軟骨はコリコリして、何とも言えぬ野趣の味です。
 ヨーロッパではローマ帝国時代から食されており、英国王ヘンリー1世はやつめうなぎを食べ過ぎて他界したとも言われています。もちろんやつめ貝焼きを食べたわけではなく、パイとして食べた記録があり、中世では美食家の大好物だったようです。このやつめうなぎパイは今でも英国王室への献上品としてお祝い事がある度に献上されているそうです。
 今や高級魚となった寒やつめですが、この時期になると懐かしく思い出す古里の自慢の逸品です。

第105回 2019年3月12日

[温故知新]喜界島の春 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 先日、奄美群島にある喜界島を訪ねました。奄美大島の東方にある珊瑚礁が隆起してできた美しい小さな島で、ローカル線の駅のようなかわいい空港があります。この島には2軒の黒糖焼酎蔵元があります。夏はとても暑く、酒造りができるのは酵母が働ける1月から5月までに限られるため、私がここを訪ねるのはいつも春のこの時期です。
 黒糖というと海賊が飲むラム酒を思い浮かべる方もいると思います。ラム酒はサトウキビの絞り汁をそのまま原料としますが、黒糖焼酎はサトウキビの絞り汁を煮詰めて作った黒砂糖に米麹を加えて作ります。ラム酒に米麹は使いません。酒税法で黒糖焼酎の製造が許可されているのは奄美群島だけです。黒糖焼酎は蒸留の際に糖分が除かれるため、糖分ゼロの芳醇な風味の辛口焼酎です。
 この時期この島を訪れると、目を疑うほど鮮やかな黄金に輝く保護蝶「オオゴマダラ」のサナギを見ることが出来ます。羽を広げると15センチにもなる日本最大の蝶です。白黒模様の羽をふわふわと動かしてゆっくりと舞う優雅な姿から「南国の貴婦人」と呼ばれています。この「貴婦人」は人をあまり恐れない性格の様で、手を差し伸べると指先に乗ってきます。優雅に飛べるのは蝶の体に毒があるからです。美女には毒や棘があるのは世の常。この幼虫が食べる草には毒性があり、成長して蝶になっても体の中に毒素が残るため、天敵の鳥などに脅かされることがないのでゆったりと飛んでいられるのです。
 もう一つこの島ならではの春の光景があります。この時期進学や就職で島を離れる若者を乗せた小さなプロペラ機が、左右どちらの乗客も見送りを受けられるように、空港の駐機場を8の字走行するのです。窓の外には見送る家族や友人が横断幕を掲げ、離れようとする若者に別れを惜み、新生活へのエールを送っています。かつては、どこでも見られた春の別れの風景ですが、小さなエアーラインの粋な計らいを見るにつけ、この若者たちは、いつの日か必ずやこの島に戻ってくるのだろうと私は確信するのです。

第106回 2019年4月16日

[温故知新]熟成肉のうまみと香り 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 牛肉などを長期保管することによって独特の旨味や香りが出てきます。最近は熟成肉ブームで、提供する店も増えているようです。日本では古くから「枝枯らし」という手法で和牛肉を熟成させてきました。通常食肉は処理から10日ほどのものが店頭に並びます。屠殺後の肉は死後硬直で硬くなりますが、肉に含まれるタンパク質分解酵素が筋線維に働いて徐々に柔らかくなります。タンパク質はアミノ酸が多数結合して出来ているので、この酵素で分解されるとアミノ酸になり旨味が増すのです。「熟成」とは本来店頭に並ぶまでのそうした変化を指していて微生物の関与はなく和牛肉は熟成により特徴的な芳香が生成され、これが美味しさの要因になっていました。
 これに対し、昨今の熟成肉ブームで提供される「熟成肉」は欧米式の赤身肉が主流で「熟成」のやり方も異なり意味も違ってきています。硬直が解けた肉をさらに長期間保管し旨味成分を増加させています。その手法は低温熟成庫で肉の表面に風をあてて乾燥させながら腐らせることなく1か月から2か月もの間寝かせるのです。その間に肉の表面にはカビが繁殖し発酵促進します。ここでは肉に含まれる酵素だけでなくカビが造り出す脂肪分解酵素などの働きで熟成肉特有のミルクやナッツの様な香りが醸成されていくのです。熟成肉を食べるときは表面に繁殖したカビをそぎとって食べますが、この製法はカビを増殖させては払い落とすという工程を繰り返す我が国古来の鰹節の作り方とよく似ています。カビが関与することによってより複雑で奥深い風味が醸し出されているのです。

第107回 2019年6月18日

[温故知新]秋田の食の魅力 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 東日本の人は漬物など発酵食品の旨味を麹に求め、西日本ではその旨味を乳酸発酵によるやわらかい酸味に求める傾向にあります。
 東日本では酸味イコール腐敗という食経験があり、酸っぱい物を嫌う人が多いようです。実際、西日本ではどこにでも見られる酢屋さんが北海道東北には数件を数えるのみです。
 先日、小安峡温泉の多郎兵衛旅館でめずらしい乳酸発酵した漬物、芭蕉菜漬けをいただきました。芭蕉菜は芭蕉の木(バナナの木)の葉に似ていることから名付けられました。葉は幅広く肉厚で、歯ごたえのある独特の風味が楽しめます。3ヵ月以上寝かせた芭蕉菜は乳酸発酵が進み、酸っぱさと旨味が加わりべっ甲色の古漬けになっています。これを高菜漬けのように刻み、ごま油で炒めたり、ご飯にまぜておにぎりにしたりします。その味たるや思わずうなる絶品でした。
 雪深い小安では春が短く山菜が急速に伸びるので、柔らかく香りが良いのが特徴です。たくさん採れた山菜は旬でいただくのはもちろん、塩漬けや乾燥などその保存方法は実に多様です。野菜も同様に、乾燥や発酵の技を生かして保存し、一年分を賄います。まさに秋田の食文化が息づいているのです。
 多郎兵衛旅館のおかみさんの手料理の魅力はこの保存食品を最大限に生かす感性にあります。そのバリエーションの豊富さにはただ驚くばかりです。
 旬の地物の美味しさはもちろんですが、古くから受け継がれてきた素晴らしい食文化にこそ秋田の食の魅力があります。「素材と時間をかけてこそ美味しい食が生まれる」と強く感じた小安の夜でした。

第108回 2019年8月27日

[温故知新]海苔も「微生物」 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 今や寿司は世界中で一般的になり、外国人も美味そうに寿司を食べる姿をよく目にしますが、私が以前オランダに住んでいた頃、友人に海苔を勧めたところ「これはカーボン紙か?日本人は黒い紙を食べるのか?」といぶかしがり、食べてもらえませんでした。確かに海外の巻き寿司はカリフォルニアロールのように米が外側で海苔が内側であることが多いのもうなずけます。古くは、海苔は天然のものを採るだけでしたが、江戸時代に養殖技術が不安定ながら確立し、東京湾で採れた海苔は和紙を漉く技術を用いて紙状に加工するようになりました。有名な浅草海苔です。
 海苔は冬に成長することはわかっていたのですが「海苔が夏の間どこにいるか」は最大の謎でした。しかし昭和24年、イギリスの藻類学者ドリュー女史が海苔の糸状体を発見し、それに基づいて海苔の一生が解明されました。なんと夏の間、海苔は貝の中に居たのです。まさか貝の中とは…見つからなかったはずです。その後の研究で天然採苗に代わる人口採苗が実用化し安定した養殖が可能となりました。
 普段口にしている海苔は葉体と呼ばれる海藻の形に育ったものですが、この葉体に育つまでは顕微鏡でしか見えない微生物なのです。江戸時代から養殖されていたにもかかわらず養殖技術が戦後まで確立されなかった理由はそこにあります。その一生は春に葉体から放出されたオスとメスの胞子が受精し果胞子が生まれ、それが牡蠣殻に着生して発芽し糸状の小さい藻になります。その糸状体のまま夏を過ごし水温が下がる秋口に今度は殻胞子が放出され、これが海苔芽となり、やがて成長し冬にはいわゆる海苔になるのです。

第109回 2019年10月22日

[温故知新]海苔の「色落ち」 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 前回にひき続き海苔の話です。現在市販されている海苔の大半は養殖ものです。佐賀県と兵庫県でその半数近い量を生産しています。兵庫県明石市に住む友人に聞くと、近年、養殖海苔に異変が起きていると言います。生産量こそ安定しているものの、海苔の「色落ち」が大きな問題になっているというのです。色落ちした海苔は表面ががさついて食感が悪く味や香りも良くありません。海苔の収穫は11月から3月頃までですが、「色落ち」は春に近づくにつれて発生し、しかもその時期が少しずつ早まっているため漁期が短くなっているといいます。
 その原因を聞き複雑な気持ちになりました。海苔や魚介類の成長に必要なリンや窒素などの海中の栄養分が減る海洋の貧栄養化という新たな課題が生じているのです。昔はそれらが雨水や生活排水などを通じて川から海に流入していましたが、排水処理技術が進んだため海の栄養分が少なくなってきているのです。水はきれいにすれば良いと思っていたのですが、海苔や魚介類にとってはそうではないようです。
 漁業者は「豊かな美しい海」を目指して一生懸命地道な活動を続けています。その一つが「かいぼり」という作業です。農業者と連携し農閑期に農業用の溜池の水を抜いて底に溜まった栄養分を海に流し込んだり、「海底耕うん」と呼ばれる、船に取り付けた巨大な熊手で海底を掘り起こして柔らかくし魚が棲みやすい環境を作る作業です。
 環境庁や水産庁でも従来の施策の方向転換について議論を始めているようですが難しい問題です。人だけではなく生物にとっても棲みやすい海洋環境をどのようにして作り守るのか。その答えを探るために共に考える機会になればと思います。

第110回 2019年11月26日

[温故知新]菌のお墓「菌塚」 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 京都洛北の地に曼殊院があります。京都の大寺院を見慣れた眼にはいかにも簡素な佇まいですが、えもいわれぬ風格と気品に満ちています。そこには大きく立派な石碑が立っています。菌のお墓「菌塚」です。
 菌類は25万年前この地球に誕生し、地球上の膨大な量の動植物の死骸を水や炭酸ガスに分解してきました。菌類のこのような働きがなければ地球上はたちまち動植物の遺体で埋まってしまい、自然界の物質循環が停止し、あらゆる生物は滅んでしまいます。人類が誕生するずっと以前から、彼らの働きによって地球は守られてきたのです。発酵食品や抗生物質だけではなく、この地球もまた、菌が人類にもたらした恩恵といえるでしょう。
 「菌塚」の碑文には次のように記されています。「人類生存に大きく貢献し、犠牲となれる無数億個の菌の霊に対し至心に恭敬して慈に供養のじんを捧ぐるものなり」。考えてみれば人類の生存と生活が微生物に負うところはいかに大きいことか!たとえ微生物といえども人類に恩恵をもたらしそして犠牲となった生物に対し感恩と供養の念を抱くのは仏心ともいえましょう。しかしそれはむしろ大方の日本人にとっては宗教を超えて自然な心のような気もするのです。
 菌を生業にしている私はこの「菌塚」の前に立ち物言わぬ小さき命に感謝するとともに微生物との共存共栄を願わずにはいられませんでした。
 ということで帰りはいつも彼らへの感謝を忘れぬようにと麹菌と酵母が醸しだしたお酒をありがたく、しこたまいただいて帰るのです。

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