第31回 2012年10月31日
[温故知新]眉墨 今野宏(寄稿)
◇秋田今野商店社長
日本の女性がいつ頃から眉毛をそり落とすようになったのかは明らかではありませんが、中世以前の女性の眉は眉墨によって描かれていました。眉墨の原料は黒穂菌の胞子です。では、どうやって黒穂菌を手に入れていたのでしょう。実はマコモという多年草の水草の中に生息しているのです。
マコモは川岸や沼などの水際に生息し、県南部ではガツギと呼ばれています。このマコモの茎の部分にウスチラゴ・エスキュレンタというカビが寄生するのです。このカビの繁殖したマコモの茎を刈り取り、天日で乾燥して保存すると、この間にカビは黒い胞子を形成します。乾燥した茎をコツコツと硬いところに垂直に落とすと中から黒い胞子が粉となって落ちてきます。これを化粧品用の油で練って眉墨として利用するのです。
雄物川流域のお年寄りの中には、子供の頃、その黒い胞子を吹いて煙のようにモクモクと漂わせる「煙ごっこ」遊びをされた方もおられるでしょう。
この黒穂菌の中には食用にされているものもあります。ここ秋田でもガツギやマコモタケとして知られ、中国ではチャオパイと呼ばれる高級食材です。このチャオパイ、マコモが花をつける時期に黒穂菌が感染し、地上部が冬枯れになる時期に水中にある茎が肥大した病徴を示します。
この肥大化した部分はホワイトアスパラのような外観で、食味はタケノコのようで美味です。千葉県の佐倉をはじめ各地で休耕田を利用して栽培されています。
もう一つこの黒穂菌の利用法を紹介しましょう。鎌倉彫の彩色に利用されているのです。鎌倉彫は基本の朱漆が乾く直前にマコモの粉、つまり黒穂菌をまんべんなく振りかけます。それを研いで磨き上げることにより、彫刻の高い部分は黒色胞子が除かれて赤くなり、周りは深みのある古代色の黒になるのです。
このように黒穂菌は化粧品から高級食材、そして伝統工芸までも支えるスーパーパワーの持ち主なのです。
第32回 2012年11月28日
[温故知新]麦角菌と麻薬 今野宏(寄稿)
◇秋田今野商店社長
カビは穀物の種子にも寄生します。見出しの麦角(ばっかく)とはどんなものでしょう。麦角はイネ科植物の花に寄生する麦角菌「クラビセプス・パープレア」というカビが作る特徴のある菌核です。
ライ麦などに寄生するとネズミのフンのような形と色をした菌核を生じます。菌核というのは寄生菌の菌糸が絡み合い密着することによって内部に多量の養分を蓄えるとともに、外界に対して強い抵抗力を作って種を保存するために形成されるものです。
この麦角ですが、かつては恐怖の対象でした。この菌に冒されたライ麦を食べた人々が次々に奇病にかかったのです。麦角は血管を収縮させて血行を妨げ、やがて血液が全く流れなくなり、手足が黒ずんで焼け焦げたような状態になり手足を失って、最終的に死に至るため、中世には「聖アンソニーの火」と呼ばれていました。
一方、ヨーロッパの助産婦たちは麦角を子宮収縮促進の目的で古くから応用していて、後にエルゴタミンなどの子宮収縮成分だけが単離され使われるようになりました。日本でも戦時中に盛岡で麦角菌が寄生したライ麦パンを食べた妊婦が多数流産した事例があります。
ただ不思議なことにドイツではこの麦角を「秘薬」として「エルゴット」と呼び、保存する人が大勢いました。興味をそそられたスイスの製薬会社が、どこが「秘薬」なのか研究したところ、この化合物の蒸気を吸引すると意識は正常なのに種々の幻覚を起こすことが分かったのです。
麻薬のLSDは麦角の毒から半合成されたもので、わずか10万分の1グラムでも幻覚を生ずると言われる史上最強の幻覚剤です。ですからわが国では1970年に「LSDは麻薬である」と指定され、厳重に取り締まられています。
第33回 2013年1月23日
[温故知新]鰰寿司 麹でふっくら 今野宏(寄稿)
◇秋田今野商店社長
鰰(はたはた)は秋田の伝承味覚の立役者です。雷鳴とどろく荒れた初冬の日本海で獲(と)れる鰰は秋田の正月には欠かせない祝い魚でした。かつては木箱に溢れんばかりの鰰を何箱も買い求め、各家庭で盛んに鰰寿司(すし)が作られていたことを懐かしく思い出す方も多いことでしょう。最近は激減で、鰰はすっかり高級魚となってしまい、鰰寿司を作る人も随分少なくなりました。今日はこの鰰寿司の話です。
鯖寿司や鮒(ふな)寿司など日本各地には様々な馴(な)れ寿司がありますが、普通これらは魚とご飯と塩で作られ、麹(こうじ)を使いません。ところが秋田の鰰寿司や北海道の鮭(さけ)寿司は大量の麹を使います。これは麹を使うことにより寒冷地での発酵を早めようという昔の人の知恵です。
それでも生臭みが残るため、香辛料や野菜を一緒に漬け込んだのでしょう。さらに鰰寿司には他の地域にはない特徴があります。それは鰰を必ずしも塩蔵せず、塩蔵する場合でも短期間だという点です。そのため各家庭で漬け込まれた鰰寿司は身がふっくらとして美味(おい)しいのです。
熊本の食通を自負する友人に「鰰寿司は硬くて美味くない」と言われ、汚名を返上すべく秋田市にある大内田の藤田料理長に頼み込み、本物の鰰寿司を分けてもらいました。口うるさい食通をも黙らせた彼の鰰寿司は、ぶりこも身も軟らかく、麹の旨味(うまみ)が生きた、まさに発酵の国・秋田ならではの味です。
ポイントはやはり麹にありました。麹を薄い酒で一度吸水させ、その後水切りしてから55度の温度で一定時間加温し、その麹で鰰を漬けていたのです。この温度は澱粉(でんぷん)をブドウ糖に糖化するのに最も適していて、米麹の一粒一粒が強力な酵素の塊になり発酵が進みます。このため、ぶりこも身も軟らかいままのすばらしい鰰寿司ができたのです。
発酵食品には味のピークがあります。微生物が生きているので時間がたつと乳酸発酵により酸味が増し、味がぼやけてしまいます。最高の味は旬の時にその地でいただくに限ります。「旬の鰰寿司を食べに秋田へ!」。これも秋田への誘客の方法ではないでしょうか。
第34回 2013年2月20日
[温故知新]カビも喜ぶ現代の家 今野宏(寄稿)
◇秋田今野商店社長
「黴(かび)」というこの難しい字は遅くとも2000年前には作られていたようです。「黴」は物が長く雨にあたって青黒くなったものを指す文字で、「黒」という字と小さくて見えにくいという意味の「微」という字が組み合わさって出来たと解説されています(説文解字)。つまり、湿気が多くなると生じる黒くて小さいものを表しているわけで、今日の私たちから見ても黴の実体をよくつかんだ上手い字の作り方だと感心させられます。梅雨は黴雨とも書き、鬱陶(うっとう)しい長雨時には湿気が多くなり、黴にとってはまさに絶好の季節といえます。
でも、実はこの黴の季節、梅雨の時ばかりではなくなっているのです。昔の木造の日本家屋は風通しが良いので湿気は部屋の中には滞りませんでした。風が吹き抜ける場所には黴は増殖しません。畳裏や押入れの中にかすかに生える黴も夏の暑い頃には消えてしまったものです。
ところが、現代の集合住宅など新しいタイプの住まいは天井が低く、窓はアルミサッシ、壁はコンクリートとプラスチックというたいへん気密性の高い構造で、空気の流れがありません。さらに、冬は窓を閉め切って暖房するため、朝夕の寒気でガラスと枠が結露します。コンクリートの外壁が薄いと壁の内側はいつも汗をかいたように湿っています。これでは黴に「どうぞ生えてください」と頼んでいるようなものです。
塩ビ製の壁紙と塗装面には特に集中的に黴が生えます。それは素材であるポリ塩化ビニールの中に、感触を柔らかくするために可塑剤(大豆油の化合物など)を配合してあるからです。乾燥した環境では全く問題ないのですが、表面が湿ると黴にとって絶好の栄養物となって旺盛に繁殖するのです。今や黴の季節は冬になったと言っても過言ではありません。
第35回 2013年3月20日
[温故知新]醸造に適した蒸し米 今野宏(寄稿)
◇秋田今野商店社長
普通に食べるご飯は炊いたものですが、酒造り味噌(みそ)造りのような醸造の場では「蒸し米」が使われます。それには大きな理由があります。
醸造現場では麹(こうじ)の出来が最終製品の品質を大きく左右します。よい麹を造るには良い蒸し米が必須です。良い蒸し米とは「外硬内軟」、つまり米粒の外側が硬く、内側が軟らかいものです。麹菌は米粒の表面に繁殖するので、米粒同士がくっついて団子状になると麹菌の生える面積が小さくなってしまいます。そして何より麹菌にとって、炊いた米より蒸し米の方が繁殖するにも酵素を作るにもちょうど良い水分量になっているのです。
醸造に用いる蒸し米は、粒がバラバラになるのが理想です。米粒の表面はお互いがくっつかない程度の硬さで、かつ発酵中に速やかに溶けるような蒸し米が良いとされています。
そのため特に重要視されるのが、蒸す前の水分量です。洗米した後に一定時間水に漬けて水を吸わせますが、この漬け時間で吸水量をコントロールするのです。適当な水分の蒸し米が出来るように調整するのは杜氏(とうじ)の重要な仕事の一つです。
酒造場では杜氏が「ひねり餅」を作ることがあります。これは蒸し米の状態を調べるためです。一握りの蒸し米を飛び散らないようにしながら掌で押しつぶして餅状にするのですが、かなりの力と熟練を要します。水量を多くして飯状に炊くと容易に米粒をつぶせますが、それは麹造りには全く向かないものです。
私の大好きなすし飯は炊きたての熱いご飯に合わせ酢を振りまいてうちわであおいで表面を冷まします。これは醸造における「外硬内軟」な米粒にすることに通じているようにも思えます。熱い飯粒の表面を冷ますと表面だけ少し硬くなって、食べた時、弾力のある食感が得られるようになるからでしょう。
第36回 2013年4月17日
[温故知新]酒造りは酸との戦い 今野宏(寄稿)
◇秋田今野商店社長
夏にご飯を冷蔵庫に入れないで放置しておくと、たちまち腐敗臭が漂い表面にカビが生えてきます。ではなぜ酒のもろみは腐らないのでしょう。それはもろみを腐らせないで発酵させる「生(き)もと」を利用するからです。
「もと」は酒母とも言われ、もと造りは、もろみを発酵させる第1段階です。玄米や白米には野生酵母が付着しています。麹(こうじ)を造っている間にも野生酵母は麹菌とともに増えていきます。
野生酵母の中には、酢のような酒にとって好ましくない香りを出す酵母(産膜酵母)やアルコール発酵が途中で止まってしまう酵母もいます。酒造りには低温で発酵してアルコールをたくさんつくり、味も香りも良い酒が出来る酵母を使わねばなりません。
そこで、あらかじめ優良な酵母を増やした「もと」を造り、これを使ってもろみを仕込むのです。「もと」は強い酸性です。梅干しや酢漬けが腐りにくいように発酵を酸性で行うことで、腐らせる雑菌を抑えることが出来るからです。
強い酸性の「もと」を造る方法に自然の乳酸菌を使うのが「生もと」です。「生もと」の造り方は日本各地に伝わる「なれ寿し」のつくり方と通じるところがあります。腐敗を防ぎながら発酵させる巧妙な方法なのです。
昔ながらの「生もと」は今でも一部の清酒メーカーで利用されています。米麹、蒸し米が水を吸って膨らんだら米粒をトロトロになるまで櫂棒(かいぼう)ですり潰すという作業をします。すり潰した蒸し米は甘酒の状態になり、それに乳酸菌と酵母が生えて酸っぱくなるとともにアルコールも増え、野生酵母は死んでしまい、やがて酸性が強くなると自分のつくった乳酸で乳酸菌は死んでしまいます。最終的に優良な酵母だけが生き残ります。
「生もと」はアルコール分が10%以上あり、とても酸っぱいので、そのままでは飲用にはなりません。「生もと」に麹、蒸し米、水を10倍以上加えて再度発酵させ、適当な酸味の酒に仕上げます。伝統的な酒造りは一面から見れば酸で腐敗を防ぎながら最終製品の酸味をいかに減らすかという「酸との戦い」ともいえるでしょう。
第37回 2013年5月22日
[温故知新]「菌食」ダイエット成功 今野宏(寄稿)
◇秋田今野商店社長
毎年行う人間ドックで、私はいつも、体重を大幅に減らすように指導を受けてしまいます。確かにこのまま増加を続ければ100キロ・グラム、つまり0・1トンという世界に突入しかねません。これは大変と、ダイエットを決意。でも食べることと飲むことが何より好きな私は、我慢を強いるようなダイエットは出来ません。そこで実行したのが、キノコ食「菌食」です。
私たちが普段食べているキノコは麹(こうじ)菌などの菌類の仲間です。菌類のうちで比較的大型の子実体(しじつたい)を形成するのがキノコで、まさに菌そのものです。このキノコを数種類たっぷりと鍋に入れ、野菜や豆腐などと煮込んで食べるのです。
キノコは健康食品としてしばしば名前が挙げられますが、どんな成分が含まれているのでしょう。
栄養素ではありませんが、人が消化・吸収出来ない食物成分を食物繊維と呼びます。キノコはこの食物繊維のかたまりです。食物繊維は発がん物質及びコレステロールなどを吸着して体内への吸収を防ぐほか、腸内の有用な細菌の発育をもたらす重要な働きをします。
またキノコには、全アミノ酸の25~40%を占めるトリプトファンなどの必須アミノ酸や旨味のもとであるグルタミン酸、動脈硬化症の予防に有効とされるリノール酸が含まれています。さらにビタミンDの前駆体であるエルゴステロールも多く含まれています。
ただ、エルゴステロールをビタミンDに変換するには紫外線が必要なので、天日乾燥した干ししいたけなどが良いでしょう。このほかミネラルのリンやカリウムも含まれていて栄養価が高いにもかかわらず、カロリーが低いため、私のようにたらふく食べたい者にはもってこいです。キノコはまさに成人病の予防効果を兼ね備えた素晴らしい食品といえます。
かくして私は1か月で10キロ・グラムの減量に成功したのです。痩せたいと思っている方はぜひお試しあれ。
第38回 2013年6月19日
[温故知新]浴室のカビ 簡単撃退 今野宏(寄稿)
◇秋田今野商店社長
住まいの中でカビの被害に困るのが浴室です。この季節、お悩みの方も多いでしょう。浴室のタイルの目地に黒いカビが巣くっていますが、なぜ目地だけが汚れるのでしょうか。それは入浴の時、体を石鹸(せっけん)で洗うとその汚れが飛散し、デコボコした目地に入り込み、それを栄養としてクラドスポリウムやオーレオバシディウムという真っ黒なカビが繁殖するからです。
「そんなのカビ取りスプレーでやっつけてやる!」と懸命に掃除しているお母さんたちの姿が目に浮かびます。ところがどっこい、そんなものではカビを撃退することは出来ないのです。
スプレーの成分は次亜塩素酸ソーダと苛性(かせい)ソーダ各1%くらいの混合液で強アルカリ性です。何度もこのコラムで紹介したとおりカビは悪食ですがアルカリには比較的弱く、成分が漂白剤そのものですから吹き付ければ黒い汚れは瞬時に消えてしまいます。
でも、1週間もすると、またヤツは復活してくるのです。それは、表面のカビは消えても、目地の中まで入り込んだ菌糸が生き残っているからです。
たとえ99・9%の菌糸を殺すことが出来ても、たった0・1%の菌糸が残っていれば、ヤツは再び人体の汚れと石鹸の泡を栄養に息を吹き返してくるのです。そして強力な自己増殖力で増えていく、まさにゾンビのような存在です。
さらに厄介なのはカビ取り処理をする前よりも耐性を持った奴が増えてしまう点です。
では、どうしたらいいのか? 一番良いのは入浴後すぐに窓を開けて湿気を追い出すこと。換気扇も有効です。そして出来れば水分除去の前に、床と壁にさっとブラシをかけて汚れを落とすこと。
「そんなことか」と言われそうですが、カビは乾燥が大の苦手。まして栄養がなくては増えることも出来ないというわけです。
第39回 2013年7月31日
[温故知新]菌でシワが消える 今野宏(寄稿)
◇秋田今野商店社長
先日久しぶりに秋田市の川反で飲んだ時のこと。店のママさんが「見て見て。シワが消えたでしょう。菌でシワが消えるのよ」と興奮して言います。今回はこのシワを消す菌の話です。
実はそれはボツリヌス菌という食中毒の原因となる菌です。かつて熊本で起きた辛子レンコン食中毒を思い出す方も多いと思います。ボツリヌス菌は私の専門のカビと異なる細菌の仲間ですが、この細菌はちょっと変わった性質を持っています。嫌気性菌といって、酸素が嫌いなのです。
ただ酸素が嫌いなだけで、酸素があるところでは仮死状態になっています。耐熱性があり、熱では死にません。その毒素は猛毒で、真空パックになった辛子レンコンの中でどんどん増えて毒素を出していたのです。油で揚げてもどこ吹く風です。
もともとボツリヌス菌の作る毒素は生物兵器のために開発されたものですが、1980年代に入ると医療用としてボツリヌス毒が筋肉を緩めるという働きを応用して、顔面麻痺(まひ)を治療するために使われ始めました。
1989年にはFDA(米国食品医薬局)で認可を受け、臨床薬として世界中で使われています。ボツリヌス菌毒は神経と筋肉との接合部位に限定して作用するので、適正量を使用すれば体に害を与えることなくシワの治療などに効果が現れます。
眉間の縦ジワは筋肉が過剰に収縮することにより生じますが、麻痺して眉を寄せることが出来なくなるため、シワが消失するのです。使用する量は極めて微量なため副作用もなく、注射による処方のため簡単で安全にシワの無い顔に変身出来るのです。
この川反のママさんもウン万円かけて、ウン十年前のシワの無い顔に変身していたのです。まことに菌というものはその場その時に応じていろいろな働きをするものです。
第40回 2013年9月4日
[温故知新]菌の力で名器の音色 今野宏(寄稿)
◇秋田今野商店社長
バイオリンの名器といえばイタリアのストラディバリが製作したストラディバリウスがあまりにも有名です。日本音楽財団が一昨年、英国のオークションに出品し、約12億円で落札されたというニュースをご記憶の方もいるでしょう。以前チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のバイオリン奏者を紹介され、目の前で彼の奏でるストラディバリウスの音色を聴いたことがありますが、これがあの名器かと興奮したものです。
ストラディバリウスに匹敵する音が出るバイオリンを作ろうと、長い間たくさんの人たちが研究をしてきました。スイスの樹病学者のシュバルツェ博士はトンビマイタケ科とクロサイワイタケ科の木材腐朽菌に着目し、良質な音作りに役立つことを突き止めました。
トンビマイタケは旧盆過ぎに秋田でも見られるキノコで、最初はトンビのように黄褐色をしていますが、一度触れるとひだが反転してカラスのように真っ黒に変わるのです。色は黒いですが食べられます。
クロサイタケは食べられないキノコで、見た目のせいか、英国では「死んだ情婦の指」というホラーな別名がついています。これらキノコの胞子が菌糸を伸ばし、木の細胞壁をじわじわと分解していき、完全に破壊せずに細胞壁を薄くすることに注目しました。
キノコの作用により、音波が容易に通り抜けられる堅い基盤を残しつつ、軽量化し、かつ柔軟性を損なうことがない木材へと変貌するのです。さらには木の振動を抑える機能が倍増して耳障りな高音が抑えられる効果も確認されました。
一昨年、この菌類で処理された木材で製作されたバイオリンと200万ドルのストラディバリウスの演奏を聴き比べる試みが米国でありました。驚いたことに、大半の聴衆は博士のキノコバイオリンがストラディバリウスだと判断したのです。恐るべし菌の力!