秋田今野商店

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第11回~第20回

第11回 2011年2月16日

[温故知新]「もやし屋」漫画で人気 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 「もやしもん」という漫画をご存じでしょうか? 主人公は私と同業の種麹(こうじ)屋のせがれで「菌が見えて菌と話ができる」特殊能力を持った農大生と、それを取り巻く研究室の仲間たち、そして菌類の織りなす青春物語です。
 菌類は様々な形にデフォルメされ、おもしろく、かわいらしいキャラクターとして登場し大人気となっています。この漫画のおかげで、私どもの仕事も一般の方々……特に中高生に急激に認知されてきており、醸造関係者の間でしか使われていなかった「もやし屋」も今や注目の職業となりました。
 さらに、一昨年開催された、国立科学博物館の特別展「菌類のふしぎ―きのことカビの仲間たち」はもやし人気に拍車を掛けました。麹と麹カビのように身近にありながらも実物を見たことのない菌類を見に16万5000人の入場があったというから驚きです。
 「もやし」というと皆さんはきっと野菜炒(いた)めの豆もやしを想像されるでしょうが、そもそも醸造関係者の間では麹の種菌のことを「もやし」と呼んでいます。「もやし」は萌(も)える、つまり芽が出るの意味があり、芽吹く姿から「もやす」→「もやし」になったという説があります。
 発酵食品の歴史は古いのですが、種麹の製造販売が行われるようになったのは比較的新しく、明治に入ってからと言われています。それまでは13世紀初期頃に、麹商人によって酒屋とは全く別個の独立的な産業パターンとして出現してきました。麹造りには特殊な技能を有し、一種の秘伝として受け継がれてきました。
 麹は酒ばかりか、みそ、しょうゆ、甘酒、酢などの醸造には不可欠なものだけに、その製造販売の独占権が得られ、しかも公家、社寺などの権力者と結びつけば、その利益は大きく、麹座を巡って、紛争がたびたび起こりました。
 その頃の種麹は前回使用した麹をさらに熟成させたものを混合して使う友種が主流でした。明治に入り近代微生物学が日本にも導入され、創業者今野清治は当時まで非常に原始的であった種麹造りにフラスコを用いた原菌の純粋培養を採用し、「こんのもやし」として急成長したのです。

第12回 2011年03月16日

[温故知新]麹に花咲かせる灰 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 誰でも子どもの頃昔話として聞いた、正直者のおじいさんがお殿様の前で枯れ木に灰をまき、見事な桜を咲かせ褒美をもらう「花咲爺(はなさかじじい)」の話はご存じでしょう。
 灰を枯れ木にまき、花が咲くなんて……と思われる方々がいるかもしれませんが、私共「もやしもん」の世界ではこの灰なくして優良な種麹(こうじ)が出来ないのです。
 木灰を添加することによって胞子がたくさん着生することを先人たちは経験的に知ったのです。胞子が着生する様子はタンポポの綿帽子の様です。木灰を使うことによって、麹に花(胞子)を見事に着生するのです。そう言えば、麹は国字(日本独自の文字)で「糀」とも書きます。まさに的を射た字体と言えます。
 麹は発酵食品製造の基本となるもので、その良否は製品の性質も左右します。この麹の品質を決める重要な要素は麹菌の種類にかかっていると言っても過言ではありません。
 醸造適性のすぐれた麹菌のみを純粋に培養した種麹はどのような工夫をして品質を保持してきたかというと、木灰を使用するといった特異な方法があることに気がつきます。
 先人たちは種麹製造の秘伝として木灰を使うことによって、きわめて純粋で保存性の良い種麹ができることを知ったのです。
 木灰の利用は、現代微生物学的見地から考えると実に巧妙な方法なのです。現代でも微生物の保存にはこの方法が応用されているのです。
 微生物の存在すら知られていない大昔に、世界中のどんな民族にも先駆けてこの様な「麹菌だけを分離する純粋分離法」「雑菌を混入させずに高密度に純粋培養する方法」「長期間、安定保存する方法」を木灰で行っていた日本人の知恵には感服させられるのです。
 そういえば馬鈴薯(ばれいしょ)を畑の中に埋めて芽を出させる時、丈夫な芽が出るように種馬鈴薯を包丁で半分に切り、切り口に木灰をたっぷり塗ってから埋める農法がありました。
 この世の中には、日常身の近くにありながら、目にも気にも留められず、無視されて葬られているものが案外多く、灰もこのようなものの一つなのでしょう。

第13回 2011年4月20日

[温故知新]キノコは出会いの証し 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 県が男女の出会いの場を作るプロジェクトを立ち上げました。検索システムによる1対1の結婚相手紹介です。私の周りでも「出会いがなくて……」という声をよく聞きます。
 カビの多くはオスとメスにきちんと分かれていますが、カビの世界だってそうそう出会いがあるわけではありません。しかも人間みたいに「出会いがなくて……」と相談するわけにもいきません。この広い自然界で小さな胞子を飛ばして菌糸となり、うまい具合にオスとメスが出会うのは天文学的な確率です。ぐずぐずしていたらダニに食われて死んでいくのが関の山です。
 そこでカビは出会いを求める一方で、自ら無性生殖も行ってせっせと子孫繁栄に努めているのです。ひとくちにカビの胞子と言っても、オスとメスが出会って出来る有性胞子とオスとメスがいなくても出来る無性胞子があります。
 有性生殖はめでたく出会ったオスとメスが、子宮に相当する繁殖器官、いわばカビのマイホームで子ども(有性胞子)を産みます。生殖の方法、マイホームの作り方によってカビは5種類に分けられます。鞭毛(べんもう)菌、接合菌、子のう菌、担子菌、不完全菌です。
 しかし、実際にはカビは有性生殖よりも無性生殖を行っていることが多く、酒や味噌(みそ)、醤油(しょうゆ)、焼酎などに使う麹(こうじ)菌も無性生殖しか知られていません。オスメスがなく、タンポポの綿毛のように胞子をフワフワ飛ばしながら蒸し米に付着し、菌糸を伸ばし麹となるのです。それを繰り返しながらどんどん増えていきます。
 有性生殖したカビと無性生殖したカビは肉眼ではほとんど区別がつきませんが、有性生殖したことが一目でわかるケースがあります。それはキノコ(担子菌類)です。有性生殖しない限りあの傘は生えてこないのです。キノコの傘はまさにその繁殖器官(子宮)なのです。どこかでキノコを見つけたら言ってやって下さい。「無事パートナーと結ばれてよかったね。おめでとう!!」って。

第14回 2011年5月18日

[温故知新]分類始まった不完全菌 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 今やどこの町でもゴミの分別回収が行われています。ただ町によっては分別の方法が違うので、引っ越して来たばかりの人は戸惑うこともあります。実はカビの世界でも同じような事が起きているのです。
 前回、カビは鞭毛(べんもう)菌、接合菌、子のう菌、担子菌、不完全菌の5種類に分けられることをお話ししました。この中で不完全菌などと不名誉な名前のついているこのカビは、オス・メスで結婚相手が見つけられないカビ、つまり有性生殖がまだ見つかっていないカビです。
 カビの分類は有性生殖の方法によって分けられているので、そこからはみ出るものがあっては困るのですが、無視するわけにもいきません。
 とりあえず放り込んでおける場所として設けたのがこの不完全菌という分類です。言うなれば「ゴミ箱」に近い意味があります。有性生殖をすることが確かめられれば初めてそのカビは「ゴミ箱」(不完全菌)から拾い上げられ、該当する他の四つの分類のどれかに移され名前も新しくつけられるのです。
 でもゴミ箱といっても馬鹿(ばか)にしてはいけません。この不完全菌に属するカビは1万7000種にも及ぶのです。あまりに多いので、胞子の型や出来かたなどにより、分類することになりました。今までまとめてゴミ箱に入れられていた物を、これはビン、これは缶、これはペットボトルというようにきちんと分類するようになったわけです。
 このゴミ箱の中には日本の醸造に欠かせない麹(こうじ)菌もあります。酒、味噌(みそ)、醤油(しょうゆ)、味醂(みりん)、焼酎など日本の食文化を支えている日本を代表する菌「国菌」というべきカビですが、有性生殖が見つかっていないのです。出会いのチャンスがないカビの仲間で、まだまだ謎の多い菌なのです。

第15回 2011年6月15日

[温故知新]微生物 最初に見た男 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 1632年10月、オランダの小さな街デルフトで偉大な2人の男の子が生まれました。1人はアントニ・ファン・レーウェンフック。顕微鏡を作った男で、微生物学の父と呼ばれています。
 そしてもう1人がヨハネス・フェルメールです。言わずと知れた光の天才画家です。「青いターバンの少女」や「牛乳を注ぐ女」はあまりにも有名です。
 さてレーウェンフックですが、彼は織物商の傍ら、虫ピンの頭より小さなレンズを磨き上げ2枚の金属板の間にセットして、世界で初めて顕微鏡を作りました。
 しかしその拡大率は250~270倍もありました。それを使って彼は歯垢(しこう)や唾液の中に小さな生き物がいること、そしてその生き物の数が酢ですすぐと減ることも観察しました。酢の殺菌効果は彼が最初に記述したのです。
 彼は世界で最初に微生物を自分の目で見ただけでなく、精子や赤血球といった肉眼では見えない生物体も発見しました。レーウェンフックによる微生物の発見は生物が霊的な力によって自然に発生するという古代ギリシャ以来の自然発生説に新たな問題を投げかけ、様々な論争を生み出すことになりました。
 レーウェンフックの観察記録はロンドンの王立協会へ送られ当時の科学専門誌に掲載されました。この観察記録は実は彼自身の手によるものではありません。「自分で絵を描けないので有能な画家に頼んで描いてもらった」との記載があります。
 これらのスケッチは明らかに科学者の目によって描かれたものではなく、芸術家の目によって描かれた滑らかな明暗の連続による精密なものです。ひょっとするとこのスケッチは親友フェルメールの手によるものなのかもしれません。
 さてその顕微鏡ですが、実はピョートル大帝やメアリー王女に献上した顕微鏡も含め387台を自作しました。現存する顕微鏡はわずか10台です。私がかつてデルフトに住んでいた時に手に入れた彼の生誕350周年を記念して製作された顕微鏡のレプリカが当社に展示されています。

第16回 2011年7月20日

[温故知新]麹造りが拓く未来 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 日本の醸造産業を代表する酒、みそ、しょうゆは麹(こうじ)なくしてはありえず、麹は縁の下の力持ちとして日本の食文化を支え続けてきました。
 麹菌は、1000年以上にわたる醸造の歴史の変遷を経て完成された、日本の食文化の原点に位置する微生物で、桜が国花、キジが国鳥であるならば、麹菌はまさに国を代表する微生物「国菌」と呼ぶにふさわしいものです(2006年日本醸造学会で麹菌を国菌と認定)。
 麹は発酵食品の要となるもので、その良否が製品の品質を左右するため、造り手は麹造りに一番気を使います。麹の出来に杜氏(とうじ)は一喜一憂するわけです。
 ひと頃、米麹の代わりに酵素剤仕込みをやろうという動きがありましたが、世の左党をうならせる酒はついに出来ませんでした。麹造りを侮ってはいけません。醸造は微生物との対話、感触を肌で感じ取る五感、いや六感を駆使した経験が不可欠な産業なのです。
 最近、この日本特有の方法で培養された麹菌の仲間のカビたちが、抗ウイルス物質や抗菌物質、生理活性物質を造る事実がたくさん報告されています。
 米粒に麹菌を育てることによりこのような環境下での培養でなければ作り得ない生産物があるのです。この麹造りの手法をもってすればさらに多くのユニークな生理活性物質を探し出せるに違いありません。
 今後、醸造から生まれた麹造りの技術は、世界的に醸造以外の様々な分野で大いにもてはやされることは間違いないでしょう。この古めかしい技術が日本の誇るべき技術として世界に出て行く大きなチャンスでもあるのです。「温故知新」が「温故創新」につながる契機になると思っています。
 「微生物にお願いすればかなえられる」「優れた酒を持つ民は進んだ文化の持ち主である」とは我が国応用微生物学の祖、坂口謹一郎先生の言葉ですが、まさにその通りだと感ずるこの頃です。

第17回 2011年8月17日

[温故知新]麹が育んだ秋田の食 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 酵母や細菌が世界中のさまざまな地域で発酵食品に利用されるのに対し、カビの利用には民族や地域によって大きな差が見られます。
 欧米では伝統的にカビを使った食品に対して根強い偏見があり、発酵食品へのカビの利用はあまりありません。
 みそ、漬けもの、しょうゆ、カツオ節、みりんと麹(こうじ)菌のかかわらない食品はありません。麹は発酵食品の複雑な香味形成に重要な役割を果たしているのです。
 特にここ秋田は古来より雑穀に対しての米食比率が高く、冷害の続いた年にも秋田の領民は1人平均一斗の米(15キロ・グラム)を麹に変えたといいます。豊富な米は多様な米食とともに米麹をたっぷりと提供し、魚、大豆、野菜などのたくさんの食材と出会い、本来そのものにはなかった味を持ったたくさんの発酵食品をみることができます。
 日本の中で秋田の人ほど食生活に微生物を取り入れてきた人々はまれです。その中で麹菌がもたらしてくれた醸造物は秋田に食文化を他地域のそれから完全に独立させる役割をなし、美味にして風流な郷土料理をも誕生させました。
 まさに秋田の食文化は麹により強く特徴づけられたと言っても過言ではありません。その陰には秋田の先人たちがあきることなく飲んではうまく、食しては美味で高度な味を麹に求めた歴史があるのでしょう。
 醸造物は工程の前半は人、後半は時間が鍵になります。スタートは丁寧に麹を作る作業から。あとは時間任せの微生物頼みでゆっくりじっくり育てていきます。この製法は先人たちのすばらしき知恵の集大成と言えます。
 特に、県南部にみられる、大豆の3倍量の米を麹に変えて使用する三十割麹みそは全国的にみても例がなく、他県に比べてみその自家製醸造、委託醸造が多いのもこの様な高麹歩合みそが、どちらかと言えば一般向けはしないが食べ慣れるとこたえられない風味のものであるためでしょう。

第18回 2011年9月21日

[温故知新]謎多き麹菌のルーツ 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 今日は麹(こうじ)菌のルーツについてお話します。日本で独自にカビ酒が発見された可能性は少ないと考えられています。麹を使ったカビ酒は、稲作とともにもたらされた可能性が最も高いと考えられています。
 稲の渡来は紀元前6~8世紀頃と言われていますが、醸造適性の優れた麹菌は800年前には既に存在したと言われています。しかしこの麹菌、もともとはどこにいたものだったのでしょうか。
 現在利用されている醸造用麹菌は日本人が長年にわたり系統選抜を繰り返して確立した「栽培品種」と言っていいでしょう。しかし、初期の麹は自然界から混入してくる麹菌を利用していたものと考えられ、野生株を利用していたものと思われます。
 明治時代初期の日本酒に関する文献には稲の穂に付く黒色の玉(稲麹)を水田から採ってきて種麹にしたという記述があります。稲麹は麹菌とは全く異なった属のカビですが、水田からそれを採ってきて木灰を加えて、半年ほど置いた後に麹の元種として使ったというものです。
 東アジアのカビの種麹を見ると、植物に付着した菌類を一度穀物に移し、そのカビの生えた穀物を種菌としている例が多く見られます。不思議なことに現在自然界の土壌などから麹菌が分類されることはまれで、分離されるものもほとんどが栽培品種の逸品と考えられているのです。
 一方、麹菌に極近縁の「アスペルギルス フラブス」は本邦の温暖地域以南で土壌や穀物などから出てきますが、この麹はカビ毒を生産することが知られ、形態的にも若干違いが認められることから、麹菌の祖先候補の一つですが、野生の麹菌ではないことは確かです。
 はたして、麹菌の野生株は現在も自然界に存在するのか。既に消滅してしまったのか。それともまったく異なった姿で隠れているのか。国菌である麹菌にはまだまだ謎が多いのです。

第19回 2011年10月19日

[温故知新]発酵産業支える「巨人」 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 由緒正しい家系を誇る一族にも1人や2人面汚し的な存在がいるものです。反対にどうしようもない一家に突然変異のように出来のいいのが出てくることもあります。カビの世界も同じことで、同じファミリーの中でもピンからキリまで色々なのがいます。
 以前もこのコラムでご紹介しましたが、カビの仲間はこの地球上に7万種ほど知られており、麹(こうじ)菌(アスペルギルス)のファミリーは分類学者によって意見が分かれるところですが、だいたい70種ほど知られています。アスペルギルスとはラテン語で「小さなブラシ」という意味で、顕微鏡をのぞくと胞子の付いているさまがまるで宗教儀式に使われるブラシのように見えることからこの名前がつけられました。
 その中で日本の醸造に使われる菌は酒、味噌(みそ)、醤油(しょうゆ)、味醂(みりん)、漬物などに使われる黄麹菌、焼酎に使われる焼酎麹菌、一部の醤油に使われる醤油麹菌のわずか3種類です。いわばアスペルギルス家の良い子の代表格です。
 この麹菌……どのぐらいの大きさかというと、胞子は直径5ミクロン、針の穴に100個並びます。1グラムで100億個という目に見えないサイズです。この小さな小さな胞子が日本の発酵産業を支えているのです。いわばミクロの巨人です。
 この麹菌は自己増殖能力がありますから、蒸し米の上に付着すると30分もしないうちに発芽が始まり、菌糸をのばしていく途中でどんどん酵素を体の外に出します。ちょうど人の発汗のようなものです。この汗(酵素)が米のでんぷん質を分解しブドウ糖をつくるのです。そして2日もすれば立派な麹をつくります。
 みなさんの身近なところでは酵素入り洗剤がありますが、あれも麹菌の作る脂肪分解酵素が含まれています。そのため油汚れなどをきれいにすることも出来るのです。麹菌は作らない酵素がないとまで言われる酵素の宝庫とも言われています。これだけたくさんのカビの中から日本人は特定の麹菌を見いだしたのですから驚きに値します。

第20回 2011年11月16日

[温故知新]有用なカビ 見事に峻別 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 前回はアスペルギルス家の良い子たちを紹介しましたが、今回は悪い子たちものぞいてみましょう。悪い子の代表と言えば、肺炎を引き起こして命取りになることもあるアスペルギルスフミガタスと、強力なカビ毒を作るアスペルギルスフラブスでしょう。こう書くと非常に怖いカビのように聞こえますが、普段はいたっておとなしいカビです。
 もともとアスペルギルスは世界中どこにでも生息しているありふれたカビなのです。我々は呼吸とともにアスペルギルスの胞子も吸い込んでいますが、気管や気管支粘膜に生えている繊毛が上下運動して小さな胞子を排出し、しぶとく残った胞子でさえ細胞の周りのマクロファージという白血球に阻まれてしまいます。
 ただし、重い病気などで体力が極端に落ちている時に彼らは悪さをします。その結果、肺の中にカビが繁殖してしまい、死に至るのです。第五福竜丸事件をご存じでしょうか。アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験に巻き込まれた日本のマグロ漁船が死の灰を浴びた事件です。重い放射能障害で免疫力が低下した船員の肝臓にこのアスペルギルスフミガタスが取り付いて命を落としてしまったのです。
 もう一つの悪い子アスペルギルスフラブスはどんな子でしょうか。1960年英国でクリスマス用に飼育していた七面鳥が数十万羽も死ぬというショッキングな事件が発生しました。鳥インフルエンザではありません。X病と呼ばれたこの謎の病気の正体は……飼料のピーナツの中に生えていたアスペルギルスフラブスの仕業と判明したのです。
 この毒素がアフラトキシンと呼ばれるようになったのはこの菌名に由来します。アフラトキシンは強力な発がん性を備えていて人の肝がんの原因物質の一つに数えられるようになりました。
 我が国ではこれらの有害なアスペルギルスの菌種と伝統的に利用してきたアスペルギルスとを見事なまでに峻別(しゅんべつ)してきました。何百年も前にどのような方法でこの安全性の高い有用な菌種や菌株が選び出されたのか大いに興味が持たれるところです。

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