秋田今野商店

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第81回~第90回

第81回 2017年2月25日

[温故知新]滋養豊か 黒にんにく 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 古今東西、媚薬(びやく)の類は枚挙にいとまがないほど登場します。古くから日本に伝わる「イモリの黒焼き」などはこの代表的なもので、江戸時代には大いに愛用されたといいます。
 黒焼きといっても本当に焦がすわけではなく、つぼなどに密封して火にかけ、蒸し焼きにするものだったようです。イモリのほかにマムシや梅干、にんにくなどが黒焼きにされ、強壮剤の民間薬として売り出されていました。
 さて今日は人気の「発酵黒にんにく」の話です。実はこれには微生物の関与が全くありません。この色調の変化は糖とアミノ酸の化学反応の一種である「メイラード反応」の結果ですから、発酵ではなく熟成というのが正しい表現です。
 メイラード反応が関与するものには、タマネギを炒めると褐変する現象や、コーヒー豆の焙煎(ばいせん)による褐変があります。温度と湿度を適正に管理することによって、にんにくは白から、徐々に黒くなっていきます。メイラード反応の結果、褐変物質(メラノイジン)を作り出すのです。
 熟成すると糖度も上がり、生にんにく特有の刺激臭も消えます。重要な成分のS―アリル―L―システインやアルギニン、ポリフェノール類が多く作られ、滋養強壮、活力増強成分は数倍増えていくのです。上手に熟成させた黒にんにくは、にんにく臭がなくプルーンのような甘酸っぱい味がします。
 作り方はいたって簡単。炊飯器本来の使用目的と違い、メーカーも推奨していませんが、皮付きにんにくを炊飯器に入れて保温スイッチを押せば高温熟成が始まり、約2週間で完成します。最後に常温で数日寝かせれば食べやすくなります。
 ただ、使った炊飯器には強烈なにんにく臭がつくので炊飯には二度と使えません。高温熟成が始まるとこの世のものとも思えない臭いが発散します。ポイントは乾燥したにんにくを使うこと。新にんにくは水分が多いのでなかなか黒くなりません。
 出来上がった黒にんにくに媚薬の効果があるかどうかは分かりませんが、滋養効果を持つのでまんざら無駄ではないかもしれません。

第82回 2017年3月18日

[温故知新]絶品キノコの漬物 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 晩秋、ブナの倒木や立ち木に群がって生える「ムキタケ」は、表皮下にゼラチン層があって皮は簡単にツルリとむけます。だからムキタケと言います。
 小安峡温泉(湯沢市)の多郎兵衛旅館の名物に「まざり」というキノコ料理があります。女将(おかみ)の伊藤トミ子さんによると「まざり」はこのムキタケと、ナメコの傘が開いた「ひらき」を混ぜた漬物です。
 味に癖がなくボリュームがあってツルリとした舌触りは独特のおいしさでまるで貝の刺し身を食べているような食感があります。ムキタケのツルリとした食感は熱いみそ汁や鍋物にして食べると喉をやけどすることがあるので「ノドヤケ」とも呼ばれます。
 「まざり」の相棒のナメコは今では知らない人がいないキノコですが、昭和初期までは全国的にはほとんど知名度がなく東北の山のキノコと思われていました。当時はヌルヌルしたキノコを総称して「ナメラッコ」と呼んでいました。それが人工栽培できるようになって大量に市場に出回るようになったのです。
 「まざり」は天然のムキタケとナメコを大鍋でサラリと湯がき、ザルに上げて水を切り冷めたら薄塩で漬け込みます。そうするとムキタケはだんだん白くなっていきます。ひとたび漬け汁の外に出すと酸化が進み黒っぽくなってしまいます。
 晩秋に仕込み、冬の間に食べますが、その間に乳酸菌による発酵が進行します。乳酸菌は酸素がなくても増殖しますから、ナメコとムキタケの舌触りにうっすらとした酸味が加わり絶妙な味を醸成します。
 こんな薄塩でよく腐らないものだと不思議に思い女将に聞くと、春になると「ほでりくせぐなる」そうです。つまり腐る予兆の臭いが出てくるので春前には食べてしまうそうです。
 このムキタケは抗菌効果のほか、最近では免疫力を高める健康増進作用を持つキノコとしても注目されています。乳酸菌にも他の菌を寄せ付けない「場を浄(きよ)める効果」があります。
 「まざり」の中ではムキタケ乳酸菌連合軍が腐敗菌と戦っているのです。山里に眠る発酵珍味の数々、大切にしたいものですね。

第83回 2017年4月22日

[温故知新]カスピ海ヨーグルト 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 高齢化社会を迎え、注目されているのが「健康寿命」です。介護など必要とせず健康でいられる期間のことです。この健康寿命100歳以上のお年寄りがたくさん暮らす国として知られるのが旧ソ連コーカサス地方の国・ジョージア(グルジア)です。
 ジョージアでは各家庭でヨーグルトを作り、驚くことに毎食どんぶり一杯ものヨーグルトを食べるそうです。カスピ海ヨーグルトとして日本でも人気がありますからご存じの方も多いと思います。
 このヨーグルトは食感が独特です。とろりとした粘りがあり、食べるというより飲むという感覚です。どんぶり一杯飲めてしまうのはこの食感にも理由があるようです。
 自家製ですから味は各家庭で違います。秋田でみそや漬物にその家の味があるように、ジョージアではヨーグルトにわが家の味があるのです。
 牛乳はたくさんの菌が好んで取り付く食品ですから、菌は中の成分(餌)を取り合うように増殖競争をして、たくさん増殖した菌が勝利をおさめて他の菌はいなくなります。大腸菌などの雑菌が勝てば牛乳は「腐った」ことになり、乳酸菌が勝てば「発酵」した食品になるのです。
 ジョージアのヨーグルトからは丸い形の乳酸菌「クレモリス菌」と棒状の「グルコノバクター」という2種類の菌が出てきます。クレモリス菌は20~30度の常温で最も増殖し、酸素の少ない環境で乳糖やブドウ糖から乳酸を作ると同時に「粘性多糖類」を合成して菌の外へ放出します。これに乳酸で固まった乳たんぱく質と乳脂肪が合わさってあの独特の粘りを作り出しているのです。
 この粘性多糖類は胃や腸で消化されにくいので食物繊維として働き、便通をよくする作用がありますし、免疫力を高める効果やコレステロール値を下げる効果が知られています。
 もう一つの重要な微生物グルコノバクターは乳酸菌ではありません。酢酸菌の仲間で酸素がなければ増殖できませんから酸素を求めて表面近くで集中的に増殖します。その結果、牛乳の中の酸素は消費され、クレモリス菌による粘性多糖類が大量に生み出されるわけです。
 さてこのカスピ海ヨーグルト、私は毎日食べています。おかげで病気知らず! これからも微生物の力で健康寿命を延ばしたいものです。

第84回 2017年5月20日

[温故知新]県独自の「あめこうじ」 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 「あめこうじ」は秋田県の肝煎りで秋田オリジナル麹(こうじ)として2015年にデビューしました。従来の米麹に比べて色がより白く、より甘いのが大きな特徴です。もともと秋田県は麹文化県といわれるほど、麹を使った伝統的発酵食品が多くあります。
 10年ほど前のデータですが、NTTのイエローページで麹屋の件数を調べると、1位が福島県で145軒、2位が秋田県で105軒、3位が新潟県で79軒です。西日本では大半の県が30軒以下で、四国と九州全域の麹屋の合計が1位の福島県とほぼ同数というのですからいかに東北地方に麹屋が多いかわかります。
 ここ秋田は古来、雑穀に対しての米食比率が高く、冷害の続いた年にも秋田の領民は1人平均1斗の米(15キロ・グラム)を麹に変えたといいます。豊富な米は多様な米食とともに米麹をたっぷりと提供し、それが魚、大豆、野菜などの食材と出会い、たくさんの発酵食品を生み出してきました。
 そうです! 秋田県はまさに麹県なのです。こうした背景の中、県総合食品研究センターと弊社との共同開発により秋田オリジナル麹「あめこうじ」が生まれ、商標登録されました。
 「あめこうじ」のもとになった麹菌株はもともと吟醸酒用の麹菌で、麹を着色させる酵素(チロシナーゼ)が低く抑えられているため、白く出来上がるのが大きな特徴です。
 ふたつ目の特徴は「あめこうじ」の名前の由来でもあるその甘さです。「あめこうじ」で甘酒を作ると従来の白色系麹の甘酒と比べて糖度が高く、かつアミノ酸が少ないのですっきりした味わいになります。
 この麹の特色を生かして今までにない使い方も期待されています。例えば甘味素材としてお菓子などへの応用や、濃縮してハチミツやメープルシロップのように使うなど、今後も利用の幅がますます広がっていくと考えられます。
 この「あめこうじ」は使用する麹菌など厳しい規定が設けられ、県総合食品研究センターの検査に合格したメーカーの麹だけが「あめこうじ」として名乗ることが許されます。つまり麹県秋田の威信をかけて上質のものだけに与える呼称なのです。

第85回 2017年6月17日

[温故知新]温泉に潜む菌 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 温泉は疲れをとり、心身ともにリフレッシュするので、私は大好きです。週末は必ずどこかで一風呂浴びています。日本は温泉天国で、その数2万7千以以上と言われ、中でもこの秋田県は温泉が多いことで知られています。
 温泉は単純泉から塩化物泉、含鉄泉、硫黄泉と様々な泉質があり、こうした泉質の違いを我々日本人は上手に利用して「湯治」をしてきました。
 さて今日は温泉で問題になる細菌レジオネラの話です。レジオネラは自然界に多く潜む細菌で、空調設備の冷却塔水や循環式浴槽水、温泉などに生息します。ただ、秋田県のように天然かけ流し湯が主体の温泉ではまず問題になることはありません。
 この水中に棲む微細な菌がシャワーや湯気により空気中に飛散霧上になり、それを人が吸い込むことにより、レジオネラ症という呼吸器系の病気になることがあります。この菌が最も繁殖しやすいのが36~39度前後です。健康な人にとっては何ら問題ありませんが、高齢者や幼児、慢性疾患を患っている人など抵抗力の弱い人がかかりやすく、発熱や肺炎によって重症化することがあります。特にこの時期、梅雨から夏にかけて感染する人が増えるのでご注意ください。レジオネラは私たちの体を守る免疫細胞の中でも生き長らえて増殖できるため、レジオネラ症の治療を難しくしてしまいます。
 この細菌はとても変わっていて温泉などの環境ではアメーバなど原生動物の体内で増殖します。これは「細菌は原生動物に食べられる」という食物連鎖のルールに反する性質です。そのため温泉水を消毒しても完全にレジオネラを殺すことが出来ないのです。今では温泉脱衣所に温泉成分とともにレジオネラ検査結果が表示されているので見かけた方も多いと思います。レジオネラは目に見えない水滴に含まれて飛散するので、加湿器をお使いの方は加湿器の水が汚染されないよう毎日水を入れ替えることが大切です。また家庭の循環式のお風呂も配管内をお湯が循環しているので、レジオネラが繁殖しないようこまめに洗浄をし、時には塩素系の洗剤で消毒することをお勧めします。

第86回 2017年7月1日

[温故知新]古墳のカビ 遺体が防ぐ 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 文化庁は今年5月11日に修復作業が進む高松図塚古墳の極彩色壁画(国宝)のうち「飛鳥美人」で知られる西壁女子群像の写真を公開しました。高松塚古墳の壁画は1972年に発見され、その後見るも無残に黒いカビに覆われてしまいました。それがこの度やっと修復作業を経て鮮明さを取り戻したのです。
 掛け軸や屏風、古い本に褐色の斑点が生じるのはよく見かける現象で、フォクシングと言います。フォクシングの原因はカビです。フォクシングの専門家で弊社OBの新井英夫氏(元東京国立文化財研究所)は文化財の生物劣化研究の第一人者です。彼によると「古墳を開けた直後の壁面は非常にきれいだったが、発掘後しばらくすると色々なカビが生えてきた。」というのです。なぜ埋葬から千年あまりの間はカビの害がなかったのでしょうか。
 この古墳を発掘するにあたり、あらかじめマイクロチューブを釣竿につけて石室内に忍び込ませ、温度や湿度、大気中の成分、微生物の有無を調べました。結果、酸素は19%、温度は15℃、特徴的なのが二酸化炭素で、外気の30倍もありました。微生物が十分生息できる環境であるにも関わらず、千年もカビの 被害がなかったその理由とは…実はアミンという物質のせいだったのです。
 台所の排水溝の嫌な臭いの元がアミンです。古墳内の遺体が腐敗して、タンパク質が分解され、アミノ酸ができます。アミンはそこからさらに分解されてできるのです。殺菌剤で有名なホルマリンなどの百分の一ほどの低濃度のアミンの存在でカビの繁殖がピタリと止まっていたのです。しかし古墳を開けたことによってアミンが外界に放出され、カビが増殖できる環境になってしまいました。墓を暴いた祟りで壁画にカビが生えたのではなかったのです。
 つまり千年もの長い間、遺体が壁画を守っていたのです。まさに古墳の持つ自浄作用と言えるのではないでしょうか。

第87回 2017年8月19日

[温故知新]嗅覚・味覚 人それぞれ 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 秋田県を襲った記録的な豪雨から1か月が経過しようとしています。私の育った刈和野は雄物川が大きく蛇行するため昔から洪水に見舞われる地でした。近年の護岸工事等でここしばらくは水害から遠ざかっていましたが、先の豪雨では全国のトップニュースに報道されるほど大きな被害となりました。その後水の引いた道路や側溝はクレゾールで消毒が行われ、私は久しぶりに嗅ぐクレゾールのにおいに懐かしさを覚えました。私の生家は107年続く麹菌を造る会社で、家庭でも日常的に雑菌を嫌い、一にも二にも消毒殺菌が徹底されていました。薄めたクレゾール液で手を拭かされていたので友達からはよく「病院のにおいがする」と言われたものです。このクレゾール液ですが、このにおいを感じない人たちがいます。色覚異常を色盲と呼びますが、ある特定の匂いを識別できない人たちを嗅盲といいます。においを全く感じることの出来ない人の多くは事故や病気が原因のことが多いのですが、ある特定のにおいだけを感じることの出来ないのが特異無嗅覚です。クレゾール以外にも汗のにおいのイソバレリアン酸や青酸の甘いにおい、糠臭いにおいのビタミンB1など特異嗅覚物質は50種以上知られています。
 嗅盲があれば味盲もあります。ある特定の物質に対して複数の味の感じ方があることが知られています。フェニ-ルチオ尿酸という物質は二重呈味(ていみ)反応、つまりある人には苦味を、ある人には無味に感じられる物質です。また食品の腐敗を防ぐための防腐剤として使われている安息香酸ナトリュムも、人によっては塩辛味に感じたり苦味、酸味、甘味、無味に感じたりします。このようにひとつの物質がいくつもの味を持つ物質が自然界から多く発見されています。これらは味盲物質と呼ばれています。もちろん味盲の人でも砂糖は甘いし、塩は塩辛く感じることに変わりはないのですが多重呈味反応物質については多様な反応をするのです。フェニールチオ尿酸と安息香酸ナトリュムを使って人間の味覚を分類すると10組に分類されますが、実際には4組のいずれかに大多数の人が分類されます。人の血液型と同じでこの味盲は遺伝するため、その人の生活習慣、環境で変わるものではありません。ある食べ物について甘いと感じる人が苦味や酸味を受け入れられるはずがありません。このように人によっては味の感じ方がそれぞれ多様ですから、これは美味い、まずいと人に強いることは避けたほうがいいようですね。

第88回 2017年9月2日

[温故知新]葛餅に発酵の技あり 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 涼しげな見た目から夏の菓子として人気のある葛餅は、プルンとした独特の食感があります。原料の葛粉は、葛の根に澱粉が集まる冬に根を粉砕し、水で洗い、その絞り汁をためて澱粉を沈殿させてアク抜きを繰り返して出来上がります。混じりけのない葛粉は本葛と呼ばれ、とても高価です。葛粉は冷めにくく、冷えると固まる性質を利用して和菓子によく使われます。また薬効もあり、体を温め血行を良くするため風邪薬(葛根湯)として古くから使われてきました。
 先日沖縄を訪れた際、「芋くず」と呼ばれる葛の根澱粉ではなく、サツマイモ澱粉がスーパーで売られているのを目にしました。
 葛餅は葛粉から作られる餅だと思っていましたが、沖縄のものはサツマイモがルーツ。関西では透明な生地に餡を包んだ水饅頭が有名で、これは正真正銘本葛粉由来ですが、なんと関東の葛餅は小麦粉から作られているのです。そこには発酵の技が生きていました。小麦粉デンプンを乳酸発酵して作る葛餅と本葛から作る葛餅は製法が全く異なっているのです。
 小麦粉から発酵法で作られる関東の葛餅ですが、小麦澱粉を杉の木桶に入れて、なんと450日も寝かせるのです。400日では風味が若過ぎ、500日では味が落ちるというのです。これは木桶を使うのがミソで、古くから使われている木桶にはロイコノストック メッセントロイデスという低温で栄養分の少ない環境下で増殖する蔵付き乳酸菌が棲みついています。この乳酸菌は酒のモトを作る再に必ず出現してくるいくつかの乳酸菌の一つです。灘の菊正宗酒造では今でもモトを作る時には50年以上たった木桶を使っており、そこからはいつも同じ乳酸菌が出てくるのだそうです。葛餅の木桶も酒造りの木桶にも彼らが棲みついているんですね。1年以上も寝かせた小麦粉はもちっとした歯触りとわずかな酸味があり、まさに夏の味です。プラスチック製の樽では決して醸し出せない、木樽とそこに潜む乳酸菌そしてゆったりと流れる長い時間が作ってくれる食感といえるでしょう。

第89回 2017年11月18日

[温故知新]ムシのつかない「お嬢サバ」 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 10月から12月は日本近海でとれる「真鯖」のシーズンです。この「真鯖」ですが、鯖に寄生する寄生虫アニサキスが原因の食中毒被害が急増していると聞きました。鯖,鯵,鰯などの内臓にアニサキスの幼虫が寄生するのです。幼虫は白い糸状でウニョウニョと動きます。アニサキスが寄生した鯖を刺身やしめ鯖で知らずに食べると、数時間後に幼虫が胃壁に食いついて激しい痛みと吐き気に襲われます。こうなったら幼虫をピンセットのようなもので取り出さなければなりません。これを聞いたら鯖を食べるのをちゅうちょしてしまいますよね。
 先日、鳥取の境港を訪れた際友人に聞くと「この辺でとれる鯖は大丈夫だと漁師も寿司屋も言っとるで」とずいぶんあいまいな返答です。ところが調べてみるとこの返答がまんざらガセネタでもないのです。
 ここから生物分類学の話になります。アニサキスには3種類の種が知られています。仮にアニサキスA、B、Cとしましょう。このA、B、Cの属は同じなのに種は異なります。人の個性が違うようにA、B、Cの生物学的特徴が異なるのです。これらは見た目では区別がつきませんが、遺伝子配列が異なるのでそれぞれ別の種に分けられるのです。アニサキスAは日本海側に80%、アニサキスBは太平洋側に80%という高い確率で生息域が限定されています。しかも太平洋側に生息するアニサキスBが日本海側に生息するアニサキスAよりも100倍も高く寄生することが分かったのです。日本海側の鯖の安全性が分子生物学的手法により証明されたわけです。しめ鯖は美味しいですが、アニサキスの幼虫は酢では死にません。ただ加熱か冷凍すると幼虫は死んでしまいます。
 安全な鯖を供給しようと鳥取県で新たな取り組みがスタートしています。それは鯖の陸上養殖です。海上養殖は海中生物を通してアニサキスに感染する可能性があるため、海水をろ過して寄生虫のいない「いけす」で鯖を育てています。ブランド名を聞いて笑ってしまいました。「お嬢サバ」というのです。ムシ(寄生虫)のついていない「箱入り娘」ならぬ「箱入りサバ」というわけです。「お嬢サバ」をいただこうとしたところ完全予約制、数量限定で結局「お嬢サバ」はお預けとなりました。

第90回 2017年12月16日

[温故知新]白い粉騒動 今野宏(寄稿)

 ◇秋田今野商店社長

 先日ニューヨーク市立大学から麹についての講演要請があり行ってきました。この風貌のせいか、到着した空港で荷物を開けられました。初めての経験です。中に入っていたのが謎の白い粉だったものですから別室で取り調べを受ける羽目になってしまいました!実はこの白い粉は麹菌の胞子だったのです。
 麹菌は和食をユネスコの文化遺産に導いた立役者ですが、同じ麹菌の仲間にアフラトキシンというカビ毒をつくるものがあります。アフラトキシンは穀物、特にトウモロコシ、ピーナッツなどの植物油脂用の種子から検出されることがあり世界中の植物検疫で目を光らせています。
 私の持っていた謎の白い粉には麹菌の学名が記載されていたものですから「待った!」がかかったのです。早速、カビ専門の植物検疫官が二人やってきました。彼らは日本の麹のことはよく知っていましたが、麹菌の胞子を見たことがなかったものですから手間取りました。
 実は麹菌は分類学者から言わせると「悪魔の双子」と呼ばれています。日本の醸造に使われる安全な麹菌とカビ毒をつくる野生の麹菌のことです。自然環境の中からは醸造で使われる麹菌はいまだ見つかっていません。ではどこから種麹屋は見つけたのでしょうか?実は野生の猪が家畜化されて豚になったように、麹菌も醸造環境に順応する中で種そのものに大きな変化が起きました。カビ毒を生産するとは何とも物騒な麹菌ですが、野生の麹菌にもそれなりの理由があります。外敵に襲われたとき、猪は牙を武器にして身を守ります。野生の麹菌にとってその牙に当たるのがカビ毒だったのです。それが種麹屋によって条件の良い環境で育成され続けることにより外敵から身を守る必要性を失っていったのです。事実、カビ毒をつくる麹菌の遺伝子は工業株ではすっぽりと抜け落ちていることが証明されています。真っ暗闇の洞窟から視覚を失ったクモが発見されるように、生物にとって必要でない環境が続くと遺伝子は意外にも簡単に失われていくものなのです。
 これらを説明すると二人の若き検疫官たちは「日本の古からの知恵に感銘しました」と丁寧に礼を述べて1時間にわたる取り調べは終わり無罪放免と相成りました。

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